ピンポンパンの思い出





 確か今の仕事に就き始めたばかりの頃だったと思うのですが、仕事でくたくたに疲れきって自分の部屋に戻り、何気なく整理棚の奥の奥に眠っていた昔の古ぼけてホコリをかぶったカセットテ−プを取り出して聴いてみたのです。それは僕が中学生の頃、友人のために録音したまま手渡すのを忘れていたピンポンパンの曲がいっぱいつまったテ−プだったのでした。A面の1曲目は恭子お姉さんが歌っていた「キャンディマン」。ベッドに大の字になって寝っころがりなりながら聴いていると子供の頃の思い出が脳裏に鮮明によみがえり、またお姉さんの歌声にあらゆる苦しみや悲しみを包み込んでくれるような優しさを感じて、感激のあまり僕は涙を流していたのでした。これがピンポンパンの音楽との12年ぶりの再会だったのです。

 僕が初めてピンポンパンを知ったのは娯楽の少なかった昭和40年代の半ば過ぎ、確か小学校の1〜2年生の頃だったと記憶しています。当時の遊びといえば、近所の友達とのメンコや銀玉鉄砲を使ったギャングごっこ、川原に秘密基地を作って得意になったり、親からおこづかいをもらって駄菓子屋さんにガムだの飴だのを買いに行ったり。買った本といえば『小学○年生』とちょっとしたマンガの単行本くらい。ファミコンやゲームセンターはなかったけれど結構楽しかったなあ。今とは違って学習塾もそんなに数はなかったし。友達と遊ぶ時間がうんとたくさんあって、夏場はサンダル履きに白いランニングシャツと半ズボンでずっと遊び回っていた。今では写真の中でしか見れないような光景を僕は体験していたのでした。そんな時代でしたが、ある意味では現代の子供たちよりも恵まれていたと思います。もうあの時代には二度と戻れないんですねえ。(しみじみ.....。)

 さてテレビといえば今も昔も子供の宝物ですよネ。当時の朝の定番といえば何といっても『ママと遊ぼう(最初の頃は "うたおう" だったかな?)ピンポンパン』でした。僕はお姉さんのやさしい歌声や番組に登場するキャラに惹かれて、自然と毎朝登校前に見るようになったようです。残念ながら僕の記憶は恭子お姉さんからしかなく、初代のなおこお姉さんの時代を知りません。

 その当時の僕の大のお気に入りの歌は『キャンディ−マン』『ピンクの戦車』『ピンクのバニ−』の三曲でした。ピンポンパン体操の音楽があまりにも有名すぎて(ズンズンズンズンズンズンズンズンピン、ポン、パポン..... という曲です。ご存じですね。)他の曲がマイナー視されがちですが、実はピンポンパンには多くの名曲があるのです。もちろんそのすべてが子供向けの音楽なのですが、意外にも大人が聴いても楽しめる曲が本当に多いのです。特に『キャンディ−マン』は名曲で今聴いてもとても感動します。知らない方も多いことでしょう。ぜひお聴かせしたい曲の一つです。本当に素晴らしい曲ですよ。『ピンクの戦車』は確か犬(だったかな?)のキャラが登場していたと思うのですが、この犬くん達が歌うところになると歌詞が途中で関西弁になるといった面白さがあったせいでしょう、子供心に大変惹かれた曲です。今でもしっかりと耳に残っています。最後の『ピンクのバニ−』も忘れ得ぬ曲の一つです。親しみやすい歌詞、歌いやすいメロディ−だったので、当時の僕はこの曲を自分でピアノを弾きながらよく歌っていました。ちょっと後になりますが『海の大家族』も素朴な雰囲気をもっていて、お気に入りだった曲の一つです。恐らく、子供だった僕はお姉さんの歌声に母親が愛情を込めて子供に歌を唄ってきかせてあげているような『優しさ』を感じていたと思います。

 中学校時代にはちょっとばかりピンポンパンから離れてしまいましたが、かおりお姉さんの頃は朝の登校前によく番組をみていました。(思春期の僕にとって、かおりお姉さんは憧れだったのですね。)そして長いこと子供たちに親しまれたピンポンパンが終了するという話を耳にしたのは僕が高校一年生の時。あまりにもショックで残念だったので僕は大胆にもフジテレビに手紙を書き、どうせ打ち切るのであれば今までピンポンパンが世に送りだした名曲の数々を番組の中で振り返ってくれ、と注文をつけたのでした。

 憶えている方もいらっしゃるでしょう。番組の終了直前の何回かは昔の曲を振り返るコーナーがあったのです。あれは僕がお願いしたのです。(ちょっとだけ自慢。) まあともあれ最終回はしっかりと見ました。エンディングは『レッツゴーともだち』でしたね。最後に佳子お姉さんが涙声で『さようならー。』と言った時には予期せず涙が出てしまいました。番組の終了は時代の流れのためで仕方なかったかも知れませんが、本当に素晴らしい番組だったと思います。

 今、僕はピンポンパンの音楽を後世に伝えたいと真面目に考えています。子供のためのよい音楽が少なくなってしまった今日、僕らが味わった感動をこれからの子供たちにも共有してもらいたいというのが僕の願いです。このサイトをきっかけに共感して下さる方々の輪が広がっていけばいいなあ、と強く願っています。